二子塚の鬼子母神祭

稚児行列

涼やかな夜風が、頬に心地よい。定林寺を満たす初秋の闇は、賑わう人々の温度で、ほんの少し熱を帯びていた。緋色の狩衣に紫の袴姿の童女たちが、一人、二人と境内に現れた。白粉に紅を差した顔は、まだまだあどけない。平安時代のように額に位星を付け、頭上には揺れる飾りの付いた金の冠を載せている。歩く度、シャラシャラと音がした。

2009年10月11日午後7時過ぎ、笛吹市八代町にある定林寺では「二子鬼子母神祭」の前夜祭が始まろうとしていた。本堂の隣に位置する庫裡では、「大きいお稚児さん」が支度を済ませていた。稚児行列の先頭を歩き、舞を献上する年上の稚児は、地元八代町内から選ばれた小学5年生6名だ。普段とは違う互いの姿を見て、照れて笑いあっている。この一月ほど、舞の練習を重ねたらしい。

舞を踊る「大きいお稚児さん」

「小さいお稚児さん」たちは、まだ本当に幼い。幼稚園・保育園の年中組から小学2年生までの女の子、30数名だ。笛吹市のみならず、山梨県内各地から、事前に申し込んで参加している。世間では稚児行列に出ると幸福になれるという言い伝えもあるようだ。皆、揃いの装束を身にまとい、顔に化粧が施されている。小さな手には桃色の百合の造花を握っている。天童に扮した我が子の晴れ姿を、目を細くして見つめる保護者達も、着物やスーツで正装している。

定林寺住職に、本日の取材の挨拶をすると、「今日の主役はこの子たちですから…」と稚児たちに微笑んだ。

ヒュー、ドーンと花火が上がった。花火を見上げるオチビさんたちの頭上から冠が滑り落ちる。「今日は上向かないでね!」と慌てる保護者に観客から笑いがこぼれた。稚児行列は定林寺境内から、二子塚までの参道を行進する。大きな稚児を先頭に、正装した住職、保護者と手をつないだ小さい稚児たち、おそらく祭典の実行委員であろう半纏姿の大傘持たちが夜道に典雅な行列を作った。稚児の保護者は、灯の入ったぼんぼりを持っている。化粧をして、古風になった幼い顔が照らされて、一瞬、時代を錯覚してしまう。

ぼんぼりを灯して歩く…

五重の塔

五重の塔と特設ステージ

夜道はお母さんと手をつないで…

母塚へ参拝

屋台が気になるけど…

お寺に帰ります

行列は境内を移動し、五重の塔横に組まれた特設ステージへ。ライトに照らし出された、五重の塔が、漆黒に浮かび上がる。年上の天童たちが舞台に上がった。落ち着いた所作で舞を披露する。少し大人びて見える少女達。桃色の扇子がしなやかに閃く。清らかで厳かな献舞だった。小さい稚児たちはステージ前に並んで座り、お姉さんたちの舞をじっと見つめている。舞台上でくす玉が割れ、夜の闇に紙吹雪が舞った。

その後、行列は山門をくぐって、参道へ。まぶしい祭り屋台の灯りに、幼い心は釘付けになっている。横を向いたまま、保護者に手を引かれて歩いていた。

一行は二子堂に到着する。堂内に安置されている二子鬼子母神は、年に一度、この祭典だけの御開帳だ。横一列に並んで頭を垂れる天童たちは、今まさに、神に仕えているのだ。その穢れなき表情を見ていると、古来より、この年齢の子供達がこういった役を担わされた理由が、わかるような気がした。その後、一行は二子塚の母塚に参拝し、子塚のある子授け霊木へ参拝し、来た道を定林寺へと戻って行った。小さな子がこんな時間まで起きているのは大変なことだろう。無邪気にあくびをしている様子が可愛らしい。この厳かな夜は、きっと幼い日の記憶に残るだろう…

翌10月12日、午後2時より本祭の献舞が奉納される。大きい稚児も、小さい稚児も、昨日と同じ子達である。昨夜と同じ衣装をまとっているが、夜と昼では全く違った印象を与える。

本祭の天童献舞は定林寺本堂内で行われる。同じ舞であるが、昼夜でその趣は全く違う。夜の屋外で見た舞は、厳かで慎ましい印象だった。一転、昼間堂内で見るそれは、華麗で煌びやかな印象を受けた。舞のクライマックスではくす玉が開く。五色の帯が降りそそぎ、色とりどりの紙吹雪が本堂内に舞った。その華やかさに、観客の歓声が上がる。昨晩より間近で見られるので、少女達の表情も見える。どの子もしっかりと落ち着いて舞っていて、本当に感心させられる。…が、時折見せる横顔は、やはり小学5年生の幼さを残していて可愛らしかった。献舞が終われば、昨日と同じ行程を行列する。昨夜と違うのは、稚児たちが保護者と並んで歩かないこと。明るい光の中で見る稚児の衣装は、より一層鮮やかで美しく見えた。

恭しく稚児に大きな傘を差し掛ける、黒い半纏姿の傘持さんが、この行列を引き締めているように思う。時折、幼少の天童のずれてしまった冠や、解けた紐を、黒子のごとくサッと直してあげていた。神に仕える天童たちへの敬意が感じられる。先頭を歩き、稚児を先導するご老人は、お孫さんに対するかのように稚児たちに接している。稚児たちも、まるでお爺ちゃんの後をついて行くかのように素直に従っている。微笑ましさと安心感を感じさせる光景だった。彼ら堂々とした共の者を従えた行列は、見る者に神の使いである稚児の権威を改めて気付かせた。

笛吹の歴史ある名刹で、夢のような錦の絵巻が描き出された秋の日だった。どの子にも幸あれ。 (取材:さっさ)

どの子にも幸あれ

健やかに育ってね…

二子塚の母塚

平安末期、源平富士川の合戦に敗れ、一門を離れて逃げていた平祐成の側室、白菊御前は、八代の里にたどり着いた。身重であった御前はそれ以上は進めず、ある塚のほとりで産気づき、一児は死産、一児は胎内に残したまま、自身もはかない最期をとげた。甲斐源氏の地であるこの里の村人達は、敵方である御前と嬰児を供養することなく塚の片隅に埋めた。その後、塚より鬼火が燃え上がり、村は災害や疫病にみまわれ、豊かであった村は廃れて行った。

時は移り鎌倉時代、日蓮大聖人がこの地を訪れた時、塚に妖しい鬼火が立ち上がるのを見た。村の者から事の仔細を聞いた大聖人は、いまだ成仏できずにいる母子と、その因縁に悩まされているこの里を気の毒に思い、塚の上で安産の符を供え、読経した。

その夜、大聖人の枕元に、二人の赤子を抱いた白菊御前が立ち現れ、無事、成仏安産できた礼を述べた。そして、未来永劫この地で女人の守護神になることを誓った。大聖人は御前に「二子鬼子母神」の尊号を賜った。その墳墓は「二子塚」として今も残っている。村の郷士だった早内左衛門は日蓮より二子鬼子母神の給仕を命じられ、大聖人の弟子となり、自らの邸宅を寺として定林寺と号した。

井戸端コラム「恐るべし…、二子塚」

 

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