帰ってきた!木造五大明王像

桑戸不動堂と隣接している桑戸コミュニティーセンター

日本に全部で5ヶ所のみ確認されている「五大明王像」が春日居町桑戸地区に保存されていることをみなさんご存知でしょうか?昨年の12月、春日居農産物直売所の理事さんたちから「お不動さんが国立博物館から帰ってくる!」という情報を頂き、今年に入り桑戸区代表区長の三科一彦さんのご協力を得て取材をしてきました。

五大明王像とは真言密教の5人の明王で構成される像で、平安時代に盛んに造られていました。しかし、現存するものは少なく、五体揃っているものは京都の東寺・京都伏見の醍醐寺・奈良の不退寺・宮城の瑞岸寺・ここ春日居町の桑戸不動堂のみです。さらにその中でも寺院ではない場所に安置されていることは珍しく、檜材の一木造りという素朴な技法で造られているという点でも重要な資料でもあるそうです。この「木造五大明王像」はどこで誰に制作され、いつからこの地区に安置されていたかは不明ですが、調査の結果、平安時代後期(12世紀前半)に制作された作品だそうです。記録によると、笛吹市春日居町桑戸区の「地蔵院」にありましたが、天正14年(1586年秀吉が「豊臣」の姓を与えられた年)安土桃山時代に旧桑戸村の表鬼門である現在の桑戸不動堂がある場所に移されました。桑戸地区ではこの地域を災害から守る明王として今も尚、信仰を集めています。

江戸時代に江戸神田の仏師によって修理され、その後明治時代に、そして2001年から2006年の5年間かけて5体修復が完成しました。5年の間に1年に1体ずつ修復し、直した像から順々に春日居郷土館へ展示されていました。設備の整った場所で多くの人に見てもらおうと、元山梨県立美術館館長の西川新次先生の協力により桑戸地区から東京国立博物館での展示が実現しました。2008年9月から3年間の契約で常設展示され、再度契約更新を博物館から要請されました。しかし、2011年8月に区民会議の結果、更新せず返還の結論に至りました。こうして3年半の時を経て、ここ桑戸地区に2011年12月20日についに帰ってきたのです。

3年半ぶりに戻ってきた五大明王像

五大明王像が春日居郷土館や東京国立博物館に展示されている間、彼らの番をしていた塑像がありました。土と藁等で造られた塑像不動明王坐像です。地域の人々には「お留守さん」と呼ばれています。というのも、もともと五大明王像と一緒に安置されていましたが、展示や修理・移設の際に留守番のように彼らの帰りを待っていたことからこの愛称が付いたとされています。今も桑戸不動堂で静かにひっそりと彼らの代わりに守り続けています。膝元には小さな赤ん坊のような人形がありますが、これは五大明王像の中央にある不動明王像の像内から出てきた赤子の人形だそうです。地元では「白子(しらこ)」と呼ばれています。地蔵院の住職によると、住職が子どもの頃は2体の白子が塑像の足元に置いてあったそうです。一説によると平氏の乱で破れた源氏が、源氏の再興を祈って造ったというお話もあるそうです。

五大明王像の留守番をする塑像不動明王坐像

2012年1月28日、久々に帰ってきた五大明王像が毎年1月28日に行われる「不動尊祭典」で一般公開されました。今まで安置されていた桑戸不動堂では、風や湿気などが入り込み明王像の劣化の原因となることやいたずらなどの防犯上の理由から新たに隣接した桑戸東区コミュニティーセンターに安置されています。今年はお祭りの当日、屋台が出店できなかったので区内の有志により無料の甘酒が振舞われました。3年半ぶりに帰ってきた五大明王像。祭典ではお経があげられ、老若男女問わず地元の人が沢山集まりました。そしてずっと心待ちにしていた五大明王像の返還を喜びました。

銅板の屋根をあしらった桑戸不動堂(修繕直後)

今年開催された「不動尊祭典」

不動堂内で行われた式典の様子

お祭りもある五大明王像、通称「お不動さん」はなぜ地元の人に親しまれているのでしょうか。その理由は、修復前にありました。

五大明王像がある桑戸地区では、文化財に指定されるまでそれほど歴史的に希少価値のある物だと地元の人々は意識していませんでした。三科さんのお話によると、「地域の子ども達にとっては遊び場と化していました。像にまたがったり、明王像の持つ法具で遊んだりしていました。だから修復前の明王像は腕や指が折れているのです。夜はロウソクを持ってお不動さんのところまで1人ずつ行き、度胸試しをしていました。当時はお不動さんの目に水晶が入っていて・・・それがまた怖かったんです。あの頃は年齢関係なく地区の子ども達みんなで遊んでいました。」と子どもの頃の思い出話を話していただきました。それだけ地域にとって生活と密着したものでした。今も桑戸地区の人々に大切に見守られていますが、地元の人々の記憶は修復前の明王像の印象がかなり強く残っているそうです。2002年に修復が開始され、完成された像を目の当たりに見た瞬間、誰もが大変驚いてしまったそうです。それもそのはず、修復前は像の表面に塗装が施されていたからです。幼い頃からあった明王像は傷んで剥がれ落ちていた箇所もありましたが、青や緑や赤などの鮮やかな色でも塗られ、柄も入っていたそうです。修復後には綺麗な木目の見える状態となり戻ってきました。修復を行った東京都の(株)明古堂さんによると、塗料が4層にもなっていたそうです。きっと先人達が、長い月日の流れで生じる風化や虫食いを防ぐために行われたのではないかと考えられています。

修繕前の五大明王像

悪い心を食い尽くす明王

腰周りの部分にはヒョウ柄のような模様が描かれていた

戦勝祈願の明王

他の像と違い、大威徳明王だけ白色だった

さらに五大明王は本来、不動明王を中心に東西南北の四方向に4体が納められていますが、この五大明王像は不動堂の神体または本尊を安置する最も奥の部分に置かれ、不動明王を中心に横一列で並んでいました。現在も以前と同様に、移設された東区コミュニティーセンター内で横一列で並んでいます。約900年という長い年月を経た五大明王像。桑戸区民に末永く大切に見守られ、後世に残されていくことでしょう。(取材:ミーシャ/2012.1-3)

修復前、桑戸不動堂に安置されていた時の様子

出典・参考文献:祈りのかたち―甲斐の信仰―(編集:山梨県立博物館)、歴史文化公園古代甲斐の里かすがい(編集:旧春日居町教育委員会)
写真提供:三科一彦
協力:笛吹市教育委員会文化財課
監修:桑戸区

木造五大明王像

◆山梨県指定文化財(彫刻)

◆住所:笛吹市春日居町桑戸175-1

◆備考:「不動尊祭典」の時のみ、一般公開。普段はガラス越しに参拝することができます。

◆お問い合わせ:笛吹市教育委員会文化財課(Tel.055-261-3342)

 

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