笛吹の常識!?一升瓶ワイン

一升瓶ワインの誕生

現在の一升瓶ワイン(八代醸造)

ワインの酒税法がなかった1938(昭和13)年まで、ぶどう農家は余ったぶどうで身近にある一升瓶や2リットルの醤油瓶・斗瓶・四合瓶サイズの720mlボトルに、どぶろくのようにワインを仕込み飲んでいました。当時は世界基準である750mlボトルの瓶が国内では製造されていなかったのです。海外では750mlボトルの容器が主です。これは最大の消費国であるイギリスで使用されていた単位容量を表すガロンとの関係で、フランスからイギリスへの輸送と輸出の利便性から生まれた数字だそうです。しかし日本では升や合といった単位しかなかったため、720mlボトルは日本特有のボトルサイズとなりました。今でも出回っている一升瓶ワインや720mlボトル(四合瓶)は、その影響が強く残っています。

斗瓶を用いたワインの仕込み作業(昭和10年代)

当時、ワインは非常に高級品だった(大正10年)

一升瓶の量産が開始された1924(大正13)年以降、国産のワインは一升瓶と720mlボトルが主でした。しかし、大正・昭和・平成と年号が変わる間に日本人の生活はどんどん西洋化されていき、山梨のワインが流通していた東京では一升瓶ワインでは見た目が田舎くさく、お洒落で西洋的ではないために次第に発注が減り、時代とともに東京の地では見かけなくなりました。そして名残として生産地の山梨県に一升瓶ワインが残りました。今日販売されている一升瓶ワインは、720ml容器に入っているワインと同様のワインが詰められている商品が多いですが、ワイナリーによっては中身が720mlのワインと異なる一升瓶ワイン専用のワインを瓶に詰めているところもあります。

1964(昭和39)年の東京オリンピックや1970(昭和45)年に行われた大阪万博により日本の食文化は急速に洋風化が始まり、ワインの消費量が一気に増えました。そしてワインブームが到来しました。1972(昭和47)年の“テーブルワインブーム”では、食事中にワインを飲むテーブルワインの文化が日本に根付き始めました。1978(昭和53)年“千円ワインブーム”では大手サントリーやメルシャンなどワイナリーがワインのテレビコマーシャルを始め、手軽に飲める千円のワインを販売しました。それ以上に安くて量を飲める “地ワインの一升瓶ワインブーム”が1981(昭和56)年に起きました。その後、1987(昭和62)年“ボージョレ・ヌーヴォーブーム”、1994(平成6)年“低価格ワインブーム”、1997年(平成9)“赤ワインブーム”が起きています。地ワインブームにより一升瓶ワインは全国で飲まれていましたが、一升という量は意外と多く、消費しきれないことが難点となり、一時のブームとなってしまいした。

日本のワイン消費量

醸造業が増えていく中、1899(明治32)年に川の水害によりぶどうの不作の年がありました。ぶどう農家が困っていたところ、ワイナリーがぶどうを買って生活を助けてくれたことをきっかけに感謝の意しとて冠婚葬祭や晩酌でブドー酒を飲む”ワイン愛飲運動”が勝沼の地で始まりました。この運動によりワインは農家にとって生活に密着していき、さらに身近な飲み物へと変わりました。ワインは専用のグラスに合った分量を入れて、テイスティングして飲むことが一般的とされています。しかし、昔の農家にはワイングラスはありません。当時は農家の身近にある深めの食器である“湯飲み茶碗”で飲まれていました。今でも湯飲み茶碗で飲む人の数は減りつつありますが、おじいちゃんやおばあちゃんがこたつに入りながらワインを湯飲み茶碗で飲んでいる光景は、他県の人から見るととても不思議な文化に見られるかもしれません。

山梨のワイン

一升瓶ワインと人々

一升瓶ワインと神社

笛吹市内のワイナリー

 

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