『地下鉄の父』をたずねて

2014年3月17日UP

今回、『一宮町を考える会』の主催で、早川徳次に縁ある一宮町東新井地区を散策するイベントを取材してきました。

大文字焼きでおなじみの大久保山や蜂城山のふもとにある浅間園の駐車場からスタートとなりました。

『一宮町を考える会』の雨宮会長は、
「根津嘉一郎、小林一三、雨宮敬次郎、小林中、徳田昴平、赤尾好夫・・・
山梨県は偉大な実業家・創業者をたくさん輩出しています。
そしてここ一宮町には「地下鉄の父」と称された早川徳次がいます。
偉大な先人たちの功績や地元に伝わる歴史を後世に受け継ぎ伝えていかなければなりません。
このイベントを通じてそれらに触れたくさんの方に興味を持っていただけたら良いと思います。」と述べられました。

早川徳次(はやかわのりつぐ 明治14年10月15日~昭和17年11月29日)
東八代郡御代咲村(現・笛吹市一宮町)東新居出身。
早稲田大学卒。
南満州鉄道での勤務を経験し、大正3年渡欧イギリス・ロンドンやグラスゴーで地下鉄と出会う。
大正8年、東京地下鉄道株式会社(現・東京地下鉄=東京メトロ)を設立。
昭和2年、浅草―上野間を開通させ、日本初の地下鉄道建設に成功した。
昭和9年には浅草から新橋までへと鉄道を伸ばした。
59歳で引退し、一宮町で実業家を育成する青年道場を計画し、建設も進行していたが病に倒れ志半ばで61歳の若さでこの世を去る。

浅間園から路地を一つ入り、美しい桃とぶどう畑が広がる風景を眼下に農道を散策。

そして、早川徳次が実業家を目指す人材の育成を実現させようとした夢の跡である『青年道場』の講師宿舎を目指しました。

(左)まだ少し雪が残っていました。(右)道中史跡がたくさん。これらは首なし地蔵。

(左)首あり地蔵も。(右)庚申塔、道祖神もあちらこちらに。

このイベントには笛吹市社会福祉協議会一宮地域事務所の協力もあり、地元に住むたくさんの高齢者の参加がありました。
散策・探訪を通じて、少しの距離でも歩くことの大切さ、昔の生活を思い出す回想といった高齢者の健康と生きがいづくりに触れていただくことがイベントの楽しみ方の一つだったといえそうです。
参加者の中には、「日常生活では決まった道しか通らないから、こんなに近所なのに知らなかったことが多くて損してました。とても新鮮な体験をさせてもらいました。」と満足を得られた回答も。

(左)早川徳次の胸像。実際に地下鉄のホームに建てられていたそうです。(右)建物の東側には屋敷神様が祀られていました。

徳次の孫・史徳さん。

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