笛吹の常識!?一升瓶ワイン

山梨のワイン

盆地に広がるぶどう畑

ワインの原料「ベリーA」

ワインの原料「甲州ぶどう」

「ワインといえば山梨」というように、山梨県の代名詞にもなっているワイン。その味は国内のみならず、世界的にも知られており、数多くのワインコンテストで受賞しています。特産の甲州種ぶどうで造られた甲州ワインの「甲州」という言葉はもはや日本だけでなく、世界でも名を馳せているお酒です。

勝沼のぶどう畑(大正5年)

山梨県でワインが造り始められたのは、今からおよそ140年前の明治初期でした。当時はまだ山梨県ではなく、甲斐国でしたが「廃藩置県」により甲府県となりました。明治政府はアジアを出てヨーロッパに学ぶべきとし、「脱亜入欧」というスローガンで「富国強兵」「殖産興業」という政策を打ち出し、国の経済や産業に力を入れ始めました。昼夜の気温差が大きく、降水量が少なく、水はけがよい果樹栽培に恵まれた土地のため、ぶどうの生産地であった山梨県は国の指示により、政策の1つであるぶどう栽培とワイン醸造に従いました。この時はワインではなく、「ブドー酒(ブドウ)」と呼ばれていました。今でも「ブドー酒」という商品名やお店のメニューにも使用され、愛着の意もあります。新しい産業としてワイン造りは県内に広がり、今日も数多くのワイナリーが醸造を続けています。

ワインの生産量がトップの山梨県ですが、他国のワイナリーと比べて生産形態が異なります。海外では、ワイナリーが原料であるぶどう畑を所有しているのが一般的です。しかし、山梨県のワイナリーでは自社農家だけでなく、契約したぶどう農家から原料を買ってワインを生産しています。

醸造場を写した最も古い写真(明治30年代前半)

もぎ籠を使ってぶどうを収穫している様子(昭和3年頃)

ぶどうを圧搾風景(昭和28年頃)

樽詰め風景(昭和初期頃)

桶詰め風景(昭和初期頃)

ぶどうの生産量日本一の県ですが、元々生食用のぶどうを生産していたので、醸造用のぶどう農家が少なかったという背景があります。またワイナリーの中でも経営の形が異なります。明治の頃は清酒が高かったため、ぶどう農家は醸造免許を取得し、自宅で飲むためのワインを造っていました。1939(昭和14)年に戦争により国が軍事資金を得るために無税だったワインに対し「葡萄酒税」が開始され、醸造が厳しくなりました。さらに増税や免許の枠組みの狭さにより、数千あった醸造農家は減少し、各地区や農家が集まって共同で醸造場を公民館の横などに建設し始めました。この醸造所を利用して農家は収穫したぶどうを自宅用に飲んでいました。このようにして共同で醸造する農家を“ブロックワイナリー”といいます。山梨県はブロックワイナリーが多いのが特徴です。それ以外に家族・個人経営のワイナリーや他資本経営のワイナリーもあります。現在県内に88社あり、国内生産量の約3割を生産しています。

一升瓶ワインの誕生

一升瓶ワインと人々

一升瓶ワインと神社

笛吹市内のワイナリー

 

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