大王柿誕生秘話

境川地区における夏の収穫情報の時から、幾度となく耳に入ってきた人が大王柿の名付け親「種田一朗さん」でした。元々、教育者で学校長を退職された後に農協の組合長をされていたと伺っていました。奥様とお二人で当時の境川の様子やご苦労されたコトなどお話を聞かせてくださいました。

種田ご夫妻

◇大王柿の由来(覚え)

種田一朗様より

私がJA境川に就任したのが平成6年4月2日だった。当時は柿の栽培と言っても「西村早生」ぐらいのものだった。この西村早生は甘い実もあれば渋い実もあった。これを改善すべく脱渋を考えたらしい。方法は炭酸ガスをビニールで覆い、蔕(ヘタ)からガスを吸収させ渋みを除去することを考えた。これが好評であったため、第一・第三共選所に施設をし、規模を拡大した。

こんな折り、大きい柿「百目柿」の渋を抜いたらどうかという案がとびだし、どうせやるなら百目柿の[枝がわり]があり百目柿より大きいということで狙いをつけた。その[枝がわり]を持っていたのが、故 橘田さんのお宅だった。樹齢50~60年位。この母木から接ぎ木で瞬く間に普及した。研究会も設立されTさんやKさんが中心になって研究開発し、商品としても市場販売が可能というところまでこぎ着けた。

そこでこの柿の商品名をどうするか?ということで組合長である私に相談があった。私もこの柿に相応しい名前にしようと思い頭をひねり、胸に訴えた。とある日の昼下がり、職員と会話をしている折り、ふと口から飛び出したのが「大王」であった。実に柿そのものと似合った。農協として商標をとりたかったが、大きなお金のかかることを知って、申請できずにいると、境川役場のほうで商標をとりたいということであったので、柿栽培者は同じ境川の住民であることから、どうぞどうぞで譲った。勿論無償だった。当時のJA境川は経営が苦しく、ここを救ってくれたのも役場のお陰だった。従って、農協と役場と生産者とが一体となって大王柿の普及販売に努めた。

尚、母木の由来は定かではない。故 橘田さんが研究熱心で、全国的に柿の穂木を取り寄せる中に、たまたま百目より大きな柿「大王柿」があったらしい。詳しいことは不明です。遺伝子レベルの調査もしてありません。

平成21年10月29日   種田 一朗

現在では農業の衰退とともに、大王柿の生産者も減ってしまい種田さんは心を痛めていらっしゃいます。大王柿は一つが500グラムもあるがゆえ高齢者の多い生産者にとっては出荷作業が難しいのが現実です。だからこそ希少価値の高い果実として消費者に求められているのかもしれないと…感じました。当時、大王柿誕生秘話に関わりご尽力された方々の努力と熱意は私が想像していたよりはるかに厳しく、熱いモノだと種田さんのお話から察することが出来ました。あえて今日、私は声を大にして叫びたい「大王柿!バンザイ」。奥様も一緒に和やかにお話できたことをたいへん嬉しく思っています。ありがとうございました。 (取材:papico)

花

種田さんのお庭の隅で静かにお出迎えしてくれました。

母木

母木、現在の様子。

百目柿

お宅では現在は農業もしておらず、樹の手入れもしていないので残念ながらたくさんの実はとれないそうです。

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